会の概要
名称
特定非営利活動法人 浜松地区肢体不自由児親の会
連絡先
〒433-8111 浜松市中央区葵西6-9-1-1
TEL&FAX 053-523-7738
TEL&FAX 053-523-7738
結成の目的
同じ悩みを持つ親たちが、肢体不自由児の療育、職業的自立、
社会的自立の促進・福祉意識の啓発を進めるため団結し、
障害を持つ子供たちが、親 亡き後も安心して暮らせる社会の実現を目的として結成されました。
社会的自立の促進・福祉意識の啓発を進めるため団結し、
障害を持つ子供たちが、親 亡き後も安心して暮らせる社会の実現を目的として結成されました。
会の歩み
History of
浜松地区肢体不自由児 親の会
浜松地区肢体不自由児 親の会
昭和35年4月、脳性小児マヒのために重度の障害をもつ子どもをかかえたお母さんたちが5~6名あつまって、みんなで力を合わせて子どものしあわせを守ろうと話し合い、会をつくりました。それが「浜松地区肢体不自由児者親の会」です。毎月必ず定例会を開き、不自由な子どもたちの保育と、親たちの懇談を重ねてきました。お友だちのいない子どもにも楽しい仲間ができました。ひとりでみじめな思いをしていた親たちも、何をすればよいかわかってきました。
その結果昭和36年の春には、浜松市立佐藤小学校に、肢体不自由児ばかりの特殊学級が出来、これまで学校へ行くことをほとんどあきらめねばならなかった子どもたちが、熱心な先生の指導によって、手足の訓練や勉強を毎日楽しく行えるようになりました。
更にその後、三方原の敷地に私達の切望していた療護園養護学校が相次いで開園、開校されました。
みんなで力を合わせ、熱心に運動すれば、こんなすばらしい成果があるのです。
手足の不自由な子どもをかかえたお父さん、お母さん、わたしたちの仕事はまだこれからです。子供達のために、職業補導所もつくらねばなりません。重症者のための永住施設も必要です。また家庭にいる子どものために訪問指導制度や、重症児への福祉年金も実現しましょう。そのためには、今までよりも、さらに大勢のお父さん、お母さんが力を合わせなければなりません。
不自由児をもつ私達は、一人で考えこんでいるとすぐ厚い壁にぶつかり、わるい事ばかり考えがちです。それが会に入って多くの人達と話合いをしていければ入会前より気強くもなり案外、素晴らしい道がひらかれます。
どうかあなたも肢体不自由児者親の会へ参加して下さい。
発足当時の資料より
その結果昭和36年の春には、浜松市立佐藤小学校に、肢体不自由児ばかりの特殊学級が出来、これまで学校へ行くことをほとんどあきらめねばならなかった子どもたちが、熱心な先生の指導によって、手足の訓練や勉強を毎日楽しく行えるようになりました。
更にその後、三方原の敷地に私達の切望していた療護園養護学校が相次いで開園、開校されました。
みんなで力を合わせ、熱心に運動すれば、こんなすばらしい成果があるのです。
手足の不自由な子どもをかかえたお父さん、お母さん、わたしたちの仕事はまだこれからです。子供達のために、職業補導所もつくらねばなりません。重症者のための永住施設も必要です。また家庭にいる子どものために訪問指導制度や、重症児への福祉年金も実現しましょう。そのためには、今までよりも、さらに大勢のお父さん、お母さんが力を合わせなければなりません。
不自由児をもつ私達は、一人で考えこんでいるとすぐ厚い壁にぶつかり、わるい事ばかり考えがちです。それが会に入って多くの人達と話合いをしていければ入会前より気強くもなり案外、素晴らしい道がひらかれます。
どうかあなたも肢体不自由児者親の会へ参加して下さい。
発足当時の資料より
資料
静岡県肢体不自由児(者)父母の会連合会の歩み
昭和36年に以前から各市・郡単位で結成されていた肢体不自由児(者)父母の会〈任意団体〉が結成されました。会員の努力と県をはじめ関係各方面の暖かいご理解ご協力により、在宅援護施策の充実強化や施設の整備等の進歩はめざましいものがありました。
しかしながら重い障害児(者)をかかえ悩んでいる親も多く、また養護学校を卒業しても必ずしも全員が就職しているとは限りません。これらの課題について、社会に対して単に雇用の促進についてお願いするだけでなく、各自が立ち上がり障害の程度に応じた仕事を見いだし、親と子が力を合わせ厚生の実を上げるよう努力しなければならないと感じ、従来の任意団体では社会的信頼も薄く力にも限界があったので、静岡県肢体不自由児(者)父母の会を発展的に解散し、昭和55年6月に現在の社団法人静岡県肢体不自由児(者)父母の会連合会が結成されました。
現在県下に約800名の会員がいます。
スローガン
「太陽」とは、
かかわるすべての人のこと。
子どもたちであり、先生方であり、
支援者であり、友であり、
家族であり、もちろん 親自身 でもある。
「とも」とは、
together (伴)
連れ立って, いっしょになって,一つになって,お互いに…
ということであり、friend (友) であり、
cooperate / collaborate (共) 力を合わせること である。
だれもが、ひとりぼっちではない。
そして、
このいろんな「太陽」は 自分らしいそれぞれの光を放つ。
われわれは、輝くために 「とも」になった。
それが、この「親の会」である。
組織系統図
真の幸福をめざして
障害がいかに重くても、あたえられた生命をせいいっぱい大切に育てる事が、子に対する親としての義務であり根本的な態度であると思います。健康な子供を持つ親が、進学に趣味にと、少しでもしあわせな人生を歩ませようと考えるのと少しも変わらないはずです。
この子の障害を発見し、医者めぐりをした事も、障害児と宣告された後、なお少しでも良くなろう、楽になろうと、努力に努力を重ねた事も親として当然な事です。
しかし親がどんなに努力しても、子供がいかにがんばっても悲しい事ですが、障害という状態から完全に脱しきれるものではありません。私共の親子に一生ついて回る現実の姿です。然しながら比の悲しみを克服して、なお努力し続ける事が、貧困と闘い病苦に打向かう事や又、学理の探究に努力し続ける事と何ら変わる事のない、人間として共通した美しい姿ではないでしょうか。
この子らのしあわせを夢見ていっしょうけんめい努力し続ける事は、けっして肩身のせまい生き方ではないと信じます。
過去にいろいろと辛い思いをした事がらも多くあったと思います。しかしこれは障害児だからというよりも、むしろこうした生命を受けいれてくれる社会がなかったからではないでしょうか。この不幸を取り返しのきかない決定的な現実の姿としてあきらめきってしまっていた親達にも大きな責任があると思います。不幸を不幸としないで暖かく迎え入れてくれる社会、いやむしろ不幸と感じないで生活出来る世の中をつくっていく事が必要であり、私達の願いでもあり目的であるのです。
この為には私共親の会はあらゆる力を結集して、お互いに手を取り合い慰めと励ましを分かちあいながらお互いの理解のみに終わらず進んで社会を啓豪し、自分の子供だけでなくほかの子供たち、また後に続くであろう不幸な子供達の為の真の幸福をもたらす大きな原動力を作り出さなければなりません。
先日来、実態調査をお願い致し合わせて地域別のグループを作る事を目的として各家庭を回って戴きました。会員の皆様の非常なる協力が実って会の実態をつかむ手掛かりとしての貴重な資料となりました。この調査と家庭訪問を中心として真の目的、本当はどうすればよいかを総ての会員の手によって究明し、近い将来に建設出来る福祉センターを中心により活発な、より充実した、力強い親の会としなければなりません。
そうです「あなた」がです。あなたが動かないで誰がこんな世の中を作ってくれるでしょう。「私一人くらい」という考えをあっさり捨てて今から立上ろうではありませんか。友達はたくさんおります。私達の回りは総て同じ考えを持った同僚です。実態調査の通信欄は総てこの力で一杯にあふれておりました。
この力をまとめて私達の手によって私達の幸福をつかもうではありませんか。
この子らのしあわせを現実にこの手で自分の子供に又多くの他の子供に分かちあたえようではありませんか。
養護学校に入学したり施設に入所出来るよう努力するのも一つの目的ですが、最終目的は社会です。一般社会の理解と支持が、ごく自然に、かわいそうだという個人感情だけでなく、この子たちの存在を人道的な立場から、未だ解明されない人類の不幸であると考えられるように社会全般の総ての人達がなってとしたら、私達親と子の悲しみの大部分は解決されたといっても過言ではないと信じます。
こんな社会の一日も早くおとずれる様、今から、今まで以上の力を出し合ってお互いに頑張ろうではありませんか。
副会長 中川 猛
昭和42年12月6日の会報「あゆみ」より
この子の障害を発見し、医者めぐりをした事も、障害児と宣告された後、なお少しでも良くなろう、楽になろうと、努力に努力を重ねた事も親として当然な事です。
しかし親がどんなに努力しても、子供がいかにがんばっても悲しい事ですが、障害という状態から完全に脱しきれるものではありません。私共の親子に一生ついて回る現実の姿です。然しながら比の悲しみを克服して、なお努力し続ける事が、貧困と闘い病苦に打向かう事や又、学理の探究に努力し続ける事と何ら変わる事のない、人間として共通した美しい姿ではないでしょうか。
この子らのしあわせを夢見ていっしょうけんめい努力し続ける事は、けっして肩身のせまい生き方ではないと信じます。
過去にいろいろと辛い思いをした事がらも多くあったと思います。しかしこれは障害児だからというよりも、むしろこうした生命を受けいれてくれる社会がなかったからではないでしょうか。この不幸を取り返しのきかない決定的な現実の姿としてあきらめきってしまっていた親達にも大きな責任があると思います。不幸を不幸としないで暖かく迎え入れてくれる社会、いやむしろ不幸と感じないで生活出来る世の中をつくっていく事が必要であり、私達の願いでもあり目的であるのです。
この為には私共親の会はあらゆる力を結集して、お互いに手を取り合い慰めと励ましを分かちあいながらお互いの理解のみに終わらず進んで社会を啓豪し、自分の子供だけでなくほかの子供たち、また後に続くであろう不幸な子供達の為の真の幸福をもたらす大きな原動力を作り出さなければなりません。
先日来、実態調査をお願い致し合わせて地域別のグループを作る事を目的として各家庭を回って戴きました。会員の皆様の非常なる協力が実って会の実態をつかむ手掛かりとしての貴重な資料となりました。この調査と家庭訪問を中心として真の目的、本当はどうすればよいかを総ての会員の手によって究明し、近い将来に建設出来る福祉センターを中心により活発な、より充実した、力強い親の会としなければなりません。
そうです「あなた」がです。あなたが動かないで誰がこんな世の中を作ってくれるでしょう。「私一人くらい」という考えをあっさり捨てて今から立上ろうではありませんか。友達はたくさんおります。私達の回りは総て同じ考えを持った同僚です。実態調査の通信欄は総てこの力で一杯にあふれておりました。
この力をまとめて私達の手によって私達の幸福をつかもうではありませんか。
この子らのしあわせを現実にこの手で自分の子供に又多くの他の子供に分かちあたえようではありませんか。
養護学校に入学したり施設に入所出来るよう努力するのも一つの目的ですが、最終目的は社会です。一般社会の理解と支持が、ごく自然に、かわいそうだという個人感情だけでなく、この子たちの存在を人道的な立場から、未だ解明されない人類の不幸であると考えられるように社会全般の総ての人達がなってとしたら、私達親と子の悲しみの大部分は解決されたといっても過言ではないと信じます。
こんな社会の一日も早くおとずれる様、今から、今まで以上の力を出し合ってお互いに頑張ろうではありませんか。
副会長 中川 猛
昭和42年12月6日の会報「あゆみ」より